MANOOON COLUMN。

キーボード・マノフミヒロの日々是エッセイ。
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ダブル

さっき「we are the world」の動画を観てたんですが、サビでマイコーが歌ってるフレーズ、あれダブルだと思ってたけど一声だけなのね。

日本人ならあの雰囲気をだすために何度も声を重ねたり、コーラスをうっすらかけたりとかしてその透明感を表現するのかもしれませんが、神秘的とも言える透明感を持ったマイコーのファルセットにはそんな演出は必要ないのですね。
リバーブのみ。

そんな体技の凄まじさに、私は心底感激し惹き付けられてやまない、というよりも、どちらかと言うと少し人間離れしていて可笑しくなってくる。
もちろん日本人にはない黒人の肉体性の高さには激しくリスぺクトしますが、音楽の中で「それができるから凄い」とは思わなかったりする。

あらゆる表現は多様な感情を呼び起こすために存在しているのだと思っています。
そこにしかない強烈な感情を産み出すのが、聴き手にとってのいい音楽、優れた音楽、或いは嫌いな音楽なんでしょう。
前述のエンジニア領域の音楽表現、例えば透明感をなんとか表現したくて考えだされたボーカルダブルもエフェクターも、そういえばほとんどビートルズが考えた物だ。
それは、ビートルズメンバーの肉体的欠落から産まれた表現だった。
しかし、それらはそれまでの音楽からは呼び起こす事のなかった様々な感情を世界中に呼び起こした。
強い表現だったのだ。

優れた生歌にはそれなりの感情が、ダブルにはダブルにしかない感情があるのだ。

ここ何年かですごい歌唱力のシンガーも日本に誕生していますが、どうも綺麗さに憧れているように見える。

今の時代、実はものすごく多様な、今までに人類が感じる事のなかった感情が人の心に渦巻いている時代のように思う。
とんでもない絶望も希望も、それはかつて人の心になかった形のものだ。
しかし音楽でそれを表現しているものがない。
ロックも含めて、みんなシーンの中で椅子取りゲームに夢中なようで、「今」鳴らすべき音と言葉を探そうとしていないのではないか。

二ヒリスティックには90年代が極めた。
その次がまだ見つかってない。
人の心を繋ぐ表現を世界は模索中であったか、或いは忘れてしまっていたのが2000代という事になるのか。

自分が独自ななにかを持ったアーティストだとは思わないが、過去に接した仲間の中には、世の中から逸脱した独自のどうしようもなさを抱えたアーティストが何人もいた。
そういう仲間と一緒に過ごしたり、話を聞けたの事は、凄い恵まれていたと思うし、表現を考える上で揺るぎないものが産まれた。

とんでもなく話が逸れまくったが、巨大な感情を産み出す新しいアーティストが、人の心がイマジネーションを持った得体の知れない何かであることを、世界中に知らしめる日の来ることを望みます。
マイコー、安らかに。
素敵な話題。 | permalink | comments(0) | -

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