最近、たまの事をよく考えている。
今の若い子はたまなんて知っているのだろうか?
たいていみんなが知っている「たま」とは「さよなら人類」であろう。
この一曲で社会現象となり、紅白にまで出演した、たま。
いまなぜたまなのか。それは、某お父様から(違うか!)頂いた図書カードで前々から欲しかった本を買ったからである。石川浩司著・「たまという船に乗っていた。」
キャ☆川名氏からは「いい機会だから本当に自分のためになる本を買ってほしいな」
とのことだったが、まーた相変わらず真野はこういうのを買うのであった。すまんね。
解説すると、たまは去年の10月に解散した。それ以前に鍵盤担当の柳原陽一郎さんが脱退し、
後期は残った三人で活動していた。後期も、タガが外れたかのようにオルタナティブな楽曲をがんがん産み続け、相当に充実期であることには変わりない。
まず、真野とたまとの出会いから。
それは真野少年が小学6年生の給食の時間のこと。
校内放送でかかった一曲に耳を奪われた。「二酸化炭素をはきだして・・・」
唐突にピアノの弾き語りからスタートするこの曲。何だこの曲?
それは、今CMでよくかかっている曲らしい。とにかく諸情報は関係なしで、この瞬間から真野少年はもう魚のように、あたかもポのように、この曲のことで頭がいっぱいになって、意識の中をポケーとさまよいだすのであった。そして、たまというバンドが歌っていると知り、真野少年のすべての意識は「たま」へとシフトしていくのであった。
当時のたまを知るには、まさにアルバム「さんだる」がふさわしい。
真野少年はこのアルバムで、たまと、というより、音楽と、決定的な出会いを果たした。
ここ2、3日再びよく聴いているのだが、子供たちの遊び場であり、4つの宇宙の交差点であり、
音楽ってこんなにすごいものだったのか!俺もやってみたいな!と思わせるに充分な魅力で満ち溢れている。未だに。それ以来、真野はずーっと音楽で遊ぶのをやめない。14年目である。
そんなわけで、真野はちょっとここんとこ「たま」めいていた。
そんなある日、たまのラストライブDVD、その名も「たまの最期!!」を購入したくて、発売元の「地球レコード」にeメールで発送を申し込んだ際、ちょっとしたコメント欄があったので、長々長々と書き込んでしまった。たまとの出会いから、プライナスのこと、今の状況に至るまで・・・。そしたらなななななんと!!元たまのベーシスト、滝本さん(Gさん)から返信があったのだ!!!!!!!真野のヤフーメール宛に、g3という名で!!
いいのを、いい音楽をつくっていって下さい。
あなたにとって、あなたの知らない誰かにとって。 Gさん(タキモト)
キャアアアアア!!!!!!!もうこれだけで卒倒である。
あーた、この事態が理解できますか?自分が音楽を始めるきっかけとなったバンドのメンバーから、自分宛に直にメール?あり得る?あなたが、もしビートルズで音楽を始めたのなら、ジョージハリスンからメールがきたようなものである。だって未だに真野のビートルズはたまであり続けるゆえ。
しかし、事態はこれだけで終わらなかった・・・。
プライナスのメンバーで元たまの知久さんのソロライブに行くことになったのである!!!!
しかも!!!着うたの吉川さんという方からの紹介で、なんとライブ終了後、知久さんにプライナスを紹介して下さるというのだ!!!!!知久さんと会える!!話せる!!なんじゃそりゃ!?ありエーーん・・・。今にも出そうな鼻血をこらえながら、鶴舞のKDJAPONというライブバーにいったのである。このライブの模様はまた改めて書くとしようか。ライブ終了後、ふつーーーーに客席のテーブルでごはんを食べてる知久さんのとこに、吉川さんに紹介されるメンバー。そして、ついに真野、知久さんと接触・・・。
プライナスの「イマジンルール」と「ストリートライブベスト」を手渡し、音楽を始めたきっかけがたまの「さよなら人類」であったことを矢継ぎ早に熱弁。ていうか、話せている感覚、まるでナッシング。一方的に真野が喋り倒しているだけで、知久さんが言った事とか、あんまりきけてなくて、若干戸惑わせてしまったかもしれない。ああ・・・すいません。
Gさんからメールの返信があったことを伝えると、「おお・・・珍しい。」とのお言葉。
珍しいのかあ。じーーんと感無量。ああ、感無量。
知久さんは淡々としていた。ただただ、淡々と。Gさんから、「いい音楽をつくってください」という返信がありました、と伝えると、
「そうですか・・・。いい音楽をつくってください。」と、そのまんま。
ていうか、それしかないYOね。しかしなんだっていいさ、知久さんから直にこの言葉をいただけるとは!!!
あーた、この事態が理解できますか?自分が音楽を始めるきっかけとなったバンドのメンバーと直に会話?あり得る?あなたが、もしビートルズで音楽を始めたのなら、ジョンレノンと会話したようなものである。だって未だに真野のジョンは知久さんであり続けるゆえ。
は〜、いまだに信じられない出来事であった。プライナスとしていろいろな体験をしてきたが、まあ、今回の出来事は真野個人としても、プライナス真野としても、かなり鼻血指数が高く、一生モノである。
てゆうか、ほんと気さくなひとたちである。聞けばどこでもライブしちゃうそうだし、だれとでもコラボしちゃうそうである。まさか、いつの日か・・・とおもったが、今、真野の口からはいえない。
たま万歳!!