MANOOON COLUMN。

キーボード・マノフミヒロの日々是エッセイ。
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百人芝居◎レビュー其の二

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さて、いろんなキャラが登場した百人芝居ですが、中でも面白かったのが、
原作にも登場するヤマモクさんのエピソード。

気が付いたら自分はなんで道の真ん中に生えてるのか。
考え続けても一向にわからず、結局わかるのは、
自分がヤマモクさんってことだけ。
時に彼は、俺はなにもわからない、自分には意味がないと嘆くのです。
この自分も、目の前のこの道も、なんで存在しているんだろうか。
偉そうにしてるけど、ほんとはなんにもわからない。
そんなヤマモクさん。
西田シャトナーさん、最高でした。

いろんなキャラが次々に現れるといえばあれだ、
「な〜げ〜へえ〜だあ〜」のエピソード。
弥次さんには見えないな〜げえへいを喜多さんが進んでいくと、
いつの間にか弥次さんの後ろに来ていて、
「お〜い、はやく来いよ〜」と弥次さんを呼ぶと、
ちょっとずつ違う弥次さんが次々に現れる。

明るい弥次さん、フーセン大好きおちゃめな弥次さん(年寄り)、
ハゲた弥次さん(シバかれる)、演技の堅い弥次さん、
演技のくさい弥次さん(asタカオ)、三人揃ってヤジサンズ、
八番・越中おわら節、などなど。
次から次へとめちゃめちゃ笑えた。

そのひとりひとりに弥次さんはダメ出しをしていくのだが、
「次は・・・もうないのよ」
の声とともに現われたのは、でかくてマッチョなヤジさん。
このヤジさんは、自分こそが本物だと言う
(ちなみに、この恐いヤジさん役の人はほんとに稽古に厳しい人で、
なんてハマり役だ、と思った)。
オカマの喜多さんも揃って、「俺達こそが本物の弥次喜多だ」と言う。

ヤマモクさんも、ニセヤジキタ軍団のエピソードも、
根源的な自意識を刺激させるエピソードだ。

ヤマモクさんはひとり「思う事」でしか世界を認識できない。
その思考は体験を伴っていないので、どこまで行っても空虚だ。
その虚しさ加減は本人もわかっていて、無意味で不条理な人生を嘆きながらも
引き受けるしかなく、来る日も来る日も空しく哲学を唱え続けている。
それがヤマモクさんができるたったひとつの事。
なんの意味があるのか?
・・・逆にいえば、ヤマモクさんがヤマモクさんであるためには
それをやるしかない、と言える。

ニセヤジキタのふたりに、ホンモノ喜多さんは抗議するでもなく、
お目にかかれたと喜んでた。
夢の中の、無数に存在するヤジとキタ。
自分達こそがホンモノだったのに、いつのまにか幻覚のひとつに押しやられてしまう。
「次はもうないのよ」
リアルな自分が妄想の自分に置き換わる。

幻覚にはアイデンティティーなんてない。
「な〜げえへ〜だあ〜」と言いながら消えてゆくだけである。

でも、喜多さんはそれでも大丈夫なんだって。
「ニセモノとかホンモノとか、おいらどうでもいい。
おいらあ弥次の事が大好きで、それさえあればおいらはおいらでいられるんでえ」
だって。

思えば、なぜ世界の中で消え入りそうな自分に不安を覚えるのだろう。
「ある」と思うものがあるとき、自分は存在することができる。
てゆうか、ある、ないとか、気にすらしないほど、
「生」の真っ只中に存在する事ができる。
他者が存在するのは、もっと後だ。
子供をみればよくわかる。

意識の中でとけて、消えちまいそうな自意識は、世界のせいではない。
自意識で世界は一瞬で変えることができる。

ヤマモクさんに花が咲いた。
無駄とは知りながらも自分の宿命を受け入れ、全うし続けたからなのだろうか。

人はあらゆる物事の中から自分を選び、決定しながら生きてゆく。
このふたつのエピソードは、夢と幻覚(混沌)の中から「ほんとの自分」を見つけ、
選びとる挿話だ。

どこまでも面白おかしく、馬鹿馬鹿しい切り口で見せてくれるくせに、
その本質はあまりにも深遠。
天才の名にふさわしい。
百人芝居、潜入記。 | permalink | comments(1) | trackbacks(0)

百人芝居◎真夜中の弥次さん喜多さん

物語は喜多さんが死ぬところからはじまる。
すっごい飛躍した解説だが、まあそういう事です。

残された弥次さんは、喜多さんを探すが、
やがて自分も死んでいるという事を知る。

・・・ところがそれは夢で、二人はフトンの中にいた。
障子をあけると雨は横から降っている、庭のスイカヅラはケタケタ笑ってるわで
リアルなことは何ひとつ見い出せない。

不安。
ちっちゃい自分がおっきな自分に操られているような、寂しい、痛い、心細い感覚。
エセな街、江戸とおさらばして、リアルを求めてイセを目指す事にしたふたり。

ここまででも、「夢」を暗示させるキーワードがたくさん出てくる。
言葉の語尾と相手の頭の文字がリンクしてしまったり。
あれ?さっきもおんなじこと言わなかったっけ・・・のループ。
時間が意味をなさない恐ろしさ。

「伊勢」とは「生」の象徴だろう。
二人は生きて、息して生きることを選び、旅立ってゆく。
この旅立ちのシーンが前半のハイライト。
舞台後ろの暗幕が開くと、天井までそびえたつ無数の障子が開き、
膨大な数のプロペラ隊が一斉に現れる。
「生」を謳歌する歌。161人総出での勇気の表現は無敵である。
お伊勢とは精神世界の桃源郷を指すイメージだろう。
物語の最後に「どっからでも伊勢はめざせらあ」と喜多さんは言っていたが、
選び方次第で、どんな状態の時も人はお伊勢に行けるということだろうか。

「それ」を見つけた瞬間、その瞬間が永遠であり、「それ」を選びとる事を決めた人は最も美しい。
しかし、それは「喜びというひとつの状態にすぎない」ということを提示され、すぐに覆されるのである。

天野天街氏の表現は、生命賛歌ではなく、夢、死、自分以外のすべてを同等に捉えて「生」と呼ぶ視点がある。

生とは、あらゆる全てであり、死でもあり、夢でもあり、自分ではない誰かの夢でもあるという視点。

旅立ちのシーンで、二人が白ワクの扉の中へ入ってゆく。
そのとき無数の漢字が舞台狭しと飛び回るのだが、一見旅とはなんら関係のない文字ばかり。
肉体的なお伊勢への行程を示す表現なら、ヤジキタ二人が立ち寄った地名を映したりするんだろう。
しかしこの旅はどんなものが重要なキーワードとして現れるかわからない旅だ。

ひどくくたびれた時に飲んだお茶碗の色かも知れないし、空を見上げた時の枝の重なり具合かも知れない。
無駄なものや意味のないものはなく、出会うものすべてが旅の中で(そういう意味で)完全に機能している、と。
そんなイメージを受ける映像だった。

・・・つづく。
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百人芝居、反響。

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こんにちは。
「百人芝居◎真夜中の弥次さん喜多さん」で、映像スタッフとして参加させて頂いた真野です。
僕の担当は、仕込んだプロジェクターで後ろから映像を映す係でした。
冒頭の宿のシーンで、喜多さんが障子を開けると雨が横から降っていて、
「アメは・・・縦だぜ!」
喜多さんがドンッと叩くと雨が縦から降り出す・・・あれです。

今回の台本は、後ろからのプロジェクターはそこしか登場しませんでした。
よって、出番はそこだけ。
その後は客席に周り階段から全公演、お芝居を観ることができました。
こんなスタッフ、200人中異例中の異例でありましょう。
ありがとうございます。
出演者として登場した161人の方々や、そのほかのスタッフさんは完成したお芝居を観れない方がほとんど。当然です。

この立場を利用して連日稽古の様子や、天野さんの演出、日毎に芝居が改善されていく様子をレポートして参りましたが、さて・・・。

なにはともあれ百人芝居が終わって。すごいです、反響が。
ミクシイやグリー、ライブドアのブログ検索で百人芝居と検索すると、出てくる出てくる、観に来られた方々の日記が。
そのどれもが絶賛の嵐。

中でも、ミっふぃーのブログはとても嬉しかった。

以前にも書きましたが、今回の百人芝居は、天野作品の中では相当にポップ係数が高い。
みんなと共有できるところで楽しく繋いで、ピークに芸術性と天野美学を持ってきていた、「自己」と「普遍性」の距離の取り方がすごくよかった。
はじめて天野作品を観た方もすんなり入って行けたことでしょう。
天野さんがそんなバランス感覚の人だとは驚きました。
もっと自己中心的なアーティストかと思ってた。
出演者を含めたあらゆる人種を繋ぐ最高の贈り物として書いた「百人芝居」。

とか思いながら、物販で売ってた「それいゆ」のビデオを観た。
こちらは完全に天野天街=少年王者舘の血と肉と、骨で出来てる。
表現への追求に完全に迷いがなく、徹底的にオルタナティブ。
百人芝居で天野作品に興味をもたれたら、
「二人芝居」→「それいゆ」と観ていくのがいいかも。
そうか、百人芝居はもしや今までの活動の集大成的作品なのかも。
それにしても変わらないのは、ある、ない。ある、ない。への
執拗なこだわり。

ひとつは全体で、全体はひとつ。
現実に生きていると気付きにくいことですが、天野さんがその世界に目覚めたきっかけともとれる手記が、「それいゆ」の台本のあとがきにありました。



「それいゆ」を書いた一年前、一等の友人である長谷川川久が自死した。
ショックは未だイエルことはない。
当時もココロはその動揺の中にあり、劇の中の「死」の扱い方が逆に客観性を帯びた。
情緒的なコトバを使うコトがキモチ的に全く出来なかった。
ツキナハシて考えるのではなく、ナマなココロのフルエ、振動を、別な型に変換する作業をした。
役者は非常にやりにくかったコトと思う。
あまりにもあかるすぎてまぶしすぎてヤミに一等近くなるようなコトがしたかった。



ずっと一緒だと思ってた友が、ある日突然いなくなってしまった。
それでもまだ彼は自分の中で生き続けている。
のにいない。なにがなんだかわけがわからない。
あっちの世界と、こっちの世界の隔たりのなさが日毎に強くなってゆく。
この世で生き続けていく自分と、もういない、人生をわけた友の記憶が、自分がどこまで彼で、彼がどこまで自分かわからなくなっていく感覚を強くする。夢も死も生もすべて同等に捉えてしまう感覚。

「空」という言葉を思い出した。

天野さんのすべてはひとつという感覚、あるない、いるいないという作風に繋がるおおきなきっかけになった出来事だったのではないだろうか。
さらに本を書いて深化していく事で、ますます境界線は薄れていっただろう。

まあ以上は真野の個人的な推測であり、もちろん天野さん本人に直接聞いたわけでもないので。
タカオさんに「天野シャトラー」ってサインしたって。
西田シャトナーさんのサインの隣に。

さて、この百人芝居を巡る旅もそろそろなんか、おわりっぺえ感じだな〜。
ですね。
次回は最後に一観客として観た「百人芝居 真夜中の弥次さん喜多さん」のレビューを書いておわります。
今までありがとうございました。

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知久さん、夜のハポン。

映像班で知り合った、ナカムラさんとカマチカさんは、なんとたまの大ファンである事が発覚。
という事で、後で知久さんのとこへ挨拶に行こうということになった。
行ったら知久さんはもうすでにベロンベロンの酔っ払い状態。
足下もおぼつかない様子で、丁寧に立ち上がったまま話してくれた。

知久さん「打ち上げまでの間ヒマだったから、先に飲んできちゃったよー」だって。

東京から来たナカムラユキさんは、目の前の知久さんに自分の気持ちを伝えてた。
上手である。

ナカユキさん「いつまでも元気で長生きしてください」
知久さん「君たちも長生きしてね。おれ生命線がすんごい長いから、たぶん君たちよりも生きてるよ。」
といって手のひらを見せてくれた。マジ長し。
体格に似付かぬ、ギタリストらしい異常に綺麗な指、長い爪。

真野「あのーハポンでお会いしたプライナスの真野ですけど、覚えてます?」
知久さん「・・・」
どうやら覚えてない様子である。ものすごく申し訳なさそう。
真野「あのー、さよなら人類を聴いて・・・」って話してたら、出演者の女性が知久さんに喜喜として話しかけた。
この人も熱烈な知久さんファンらしく、歌のシーンではタンバリン叩きながら、
「ああ、あたし今、知久さんとセッションしてる!!」と涙を堪えてたらしい。
知久さんは凄いのだ。

帰り際、世界の寅さんがなんか言い出した。
「まの〜んさ、知久さんにアドレス交換してもらえよ」
真野「はあ??」
と言うや否や、知久さんとこに駆け寄り、
「知久さん、あの真野ってやつがアドレス交換してほしいと言ってます。」といっとる!
真野「いやいや言ってないスから!どうもすいません、この人インスピレーションで動くんスよ。」この人の愛はカウンターで来る。

知久さんはニヤリとしてタカオさんに、
「だめだよー先ばしっちゃー」
「演技も先走ってたよ?」
と。最後に俺に向かって
「ありがとう、顔覚えたから。」
つって、猫背でスタスタ歩いていった。

その後、一行は二次会と称して高架下で呑むことに。
話の流れでkdハポンを見に行ったら、まだ店長の太郎さんが仕事してたので入らせてもらえた。
夜のハポン。

名古屋で活動しているいろんなアーティストのCDを聴かせてもらった。
皆めちゃめちゃオリジナリティーがあってカッコよかった。そしてすごく上手い。
知らない人たちばかりでショックを受けた。

明日の知久さんライブの前に、太郎さんイチオシのアーティストを無料で紹介してるみたいなので、(無料!無料!!)

俄然行くことにしました。

リアルに金がなく知久さんは観れませんでした。そちらのレポートはまた今度。

映像班の皆でそのあとすかいらーくに行き、たま話で盛り上がり、(主に俺)鶴舞公園に行き、始発まで時間を潰した。

他のグループは花火をしたり、撮影会をしたりと、大いに盛り上がっていた様子。ホームレスのみなさんもさぞびっくりしたことでしょう・・・。

よく話し、よく歩いた。
すんごく楽しい夜だった。

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しりあがり寿さん。

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サインもらいました。
「ごめん、。目つきわるくなっちゃった(笑)」って言ってました。
5歳くらいのかわいい娘さん連れて、紅牛のTシャツ着てました。
実に普通の、いいお父さんって感じでしたよ。
どこで出たかわかったかな?
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生身の天野さん。

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これ、天野さん直筆の真野文宏。
出演者、スタッフ全員分書いて下さった。

打ち上げで締めに挨拶を求められた時、こういうのは得意じゃないからといって、
「どーもすいませんでした〜!!」(台本が遅れすぎて)
といって、寺十さんがやった天野さんのモノマネ、謝る仕草を大袈裟に繰り返した。
みんな大喝采。
すっごい面白かった。

店を出た後、外人の出演者が天野さんに質問したい事があるというので、タカオさんが通訳してた。

質問「あなたの作品のテーマはなんですか?」
天野さん「私という存在は、あるか、ないか、いるか、いないかということですね。」
「それはロミオとジュリエットですか?(to be or not to be)」
ってとっさにつっこんだら、
「…うーん、それはちょっと違う【私】が入るから。ちょっとこっからの話はややこしくなっちゃう。」って。

「あかちゃんとおとなのあれのようなことをおとなのアマのさんが楽しく遊んどるような気がしたね。」
タカオ談。


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エレベーターのつボイノリオさん。

帰りのエレベーターの中では、つボイノリオさんとご一緒する事ができた。
閉まりそうなエレベーターに、笑顔で慌てて駆け込んでくるつボイさんにとても幸せな気持ちになった。

真野「すごい面白かったです。一番おいしいとこ持ってかれましたねえ」
つボイさん「ええ、ええ、主役はみなさんなんでね。みなさんで作り上げられたお芝居ですから。」

会話がなくなってしまうのは気を使わせてしまうんじゃないかと、
真野は余計な事を聞いてしまうのである。

真野「天野さんとは高校がご一緒だったんですか?」
つボイさん「ええ、以前からお名前は存じあげていたんですが、作品に参加するのはこれが初めてですねえ、ええ。」
真野「最初のナレーションからすごいよかったです。友達が絶賛してましたよ!」
つボイさん「ええ、ありがとうございます。みなさん全員が主役のお芝居ですからねえ」

終始にこやかな笑顔で話してくれた。もう、なんか感動である。
真野「ありがとうございました!ラジオ聴きますね!」
マジでそうしたくなるほど暖かい気持ちにさせてくれたつボイノリオさんであった。


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百人芝居、打ち上げ〜さねよしいさこさん。

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百人芝居の打ち上げでの様子をいくつか。

まずは、さねよしいさこさんと世界の寅さん。

いきさつはこう。
「さねよしさんとこ行こうぜ!」
打ち上げの席でご飯を食べてるさねよしさんに近づき、
後ろからさねよしさんの肩を揉み出すタカオさん。

さねよしさん「ひゃあ!」
タカオ「♪そらそらそら〜」
「♪かぜかぜかぜ〜」
のリズムに合わせて肩を揉む寅さん。
さねよしさん、大笑い。
・・・。

さねよしさん「その曲すごい好きだよね〜。」
タカオ「うん、だって俺、さねよしさんの曲それしかしらんもん。」
・・・。

さねよしさん「あ〜、ミスチル?わたしさ、驚くべきことに
その話があるまでミスチルって知らなかったんだよね〜」
タカオ「まーじーで!?あーっはっはっはっ!!」
笑いすぎ。

さねよしさん「それで桜井さんとお会いして、お話しさせていただいたんだけど、
もうほんとすごいいい人で!感動しちゃった」
タカオ「な!」
真野「・・・みんなすごいいい人たちばっかりですよねえ。」
この席にいるみんなの事である。
著名な方であるほど、さわやかで暖かい印象を残してゆく。

続く。

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百人芝居最終日。

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終わりました。
来てくれた方、本当にどうもありがとうございました。
今回は、みんなとこのお芝居を共有できたことが、本当に嬉しい。
世界にひとつの劇団がこの名古屋で立ち上げた前代未聞の企画に参加できた事。
天才の演出を連日間近で見れたこと。
最高の台本に各部署が自覚的に動き、それぞれの役割に目覚めて行く様子や、公演を重ねる度にひとつのいのちが産まれてくる様子に立ち会えた事。

これほどポップな演劇なのに、肝心な部分は言葉にできない事。
まだまだ書き足りない。
とりあえず打ち上げに行ってきます。
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百人芝居、三日目。(夜の部)

今日の夜の部は今までで最高の出来でした。
各々の台詞のテンションから、流れ、旅立ちのシーン、喜多さんとの再会のシーンの流れのエネルギーの美しさに泣けて仕方なかった。

全てが独立した個のまま、自由に動き回りながらひとつになろうと泳いでいた。
縛らず、怒らず、至らない点もいびつな個性も全てを愛して、この161人だけの芝居が一気に完成に吸い寄せられた三日目。
喜多さん役の小熊さんが皆を前に言った言葉。
「百人芝居という企画を始めた時、この山は超える事ができるだろうかと思っていたのですが・・・、今日の夜の部で越えられたと思っています。」
出来すぎである。

あとは楽日を迎えるのみ。

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