終わった。
本当に充実した四日間だった。
今回、音響とオープニングのピアノ曲で参加したわけだが、ここまでがっちり脚本と役者の皆さんと一緒になってやれたのはなかなかできない体験だと思う。
本の世界に、自分なりのイメージを持って参加することができた。
一人の役者のつもりで音響を操作できた。
こんなに素晴らしい体験を用意してくれたはだQのみんなに、本当に、感謝。
脚本をもらう数時間前、なぜか手塚治虫の「来るべき世界」のイメージが浮かんだ。
世界の最期の瞬間に、ピアノを弾き続ける男。
戦争という「人類無感情ロボ化」に対する最後の抵抗、「音楽」。
一人の人間の持つ美しい感性で持って抗議しようとしたのだろーか?
駅裏を歩きながら、読みたくなってきた。
と、思っていたとき、脚本をもらった。
脚本にはピアニストがでてきた。
彼の柔らかな感性は、「戦争」によって心を閉ざされた男の手で、楽譜を破かれ、泣いていた。
ひとりの人間として意思を持ち、せめて自分らしく散ろうと思っていたのに・・・。
今から思うと、このときにもう曲は出来ていたのかも知れない。
この話をテーマに一曲出来るかも、ということをモコちゃんと中島さんに話すうち、真野のピアノ曲をオープニングに使おうということになった。
その日の夜、ピアノに向かった。
いつも、出来んかも知れんという思いと戦う。
でも、今回は出来る気がして妙にわくわくした。
なにを求められている曲なのかはわかっていた。
そして、もうひとつ「自分にはなにが出来るのか」。
このふたつを探っていくうち、いくつかのモチーフが出来て、
「その音」で何度も何度も弾き直して、どうにか出来た。
一晩かかった!
ふう。
こんなことを何度も思った。
アトリエにもっていって聴いてもらうと、みんなすごくぴったりだと言って喜んでくれた。
初日のアンケートには、最初のピアノ曲ですんなり世界に引き込まれたという言葉もいただいた。
自分らしい素直なピアノだったので、ほんと、すっごい照れた
。
なんか、今の自分が世の中に出て行くときのピアノスタイルがわかった気がする。
その意味でも、今回の公演は本当に大きい。
自分のピアノのターニングポイントになると思います。
音響に関しては、
こんなことを思いながら臨んだ。
機関銃ぶっ放したりとか、最後の最後でサンプラーが壊れたりしてさぞかしお客さんはビックリしただろうが、まあ演じるように表現出来たと思う。
どうもすいませんでした。
ものすごく集中して、くたびれ果てたがその充実感はあまりに楽しすぎた。
表現するのは、とても自分らしいことなんだなー。
だからピアノであろうと音響であろうと、まったく同じことをしているつもりなのだ。
そんな真野でした。
次回作も、その次もぜひはだQには音響で参加したい。
次は、やっと出た「公儀妖怪討伐隊」のDVDを題材に、はだQはなかなかお目にかかれない素晴らしい劇団だということを、書きます。
ではさようなら。